こぼれ話

2018.07.13

和の国

イスラムとイスラムの家庭料理を題材にした映画を見てきました。

個人が主催するミニシアターの上映だったので、映画の進行中もみんなでおしゃべりして(家でテレビを見る感じ?)驚きのその内容に一緒にツッコミまくったりして

楽しい体験でした。

イスラム圏の国々(イランやトルコなど)を旅してきた方が進行役をしてくださり、色々補足説明してくれたので、余計にわかりやすかったです。

その中で「現在イスラム教である国が、イスラム教から脱することはあるのだろうか」

という話が出ました。

進行役の方は「それはないと思う。イスラム教は宗教を超えてすでに文化である。食事の内容から作法から、日常の習慣(お祈りとか)すべてイスラムの教えに乗っ取ってる。

もしイスラム教というのがなくなったとしても、生活スタイルとしてそれらは残ると思う。例えばラマダン(断食)も宗教行事だけど、その意味がわからなくても「こうするもの」

として残ると思う」

ということを言っていて、すごくおもしろいなと思いました。

 

それって日本も同じだと思ったのです。

日本は宗教に寛容な、なんでもありの国だと思われていますが、その根底には神道があります。

お正月をみればわかります。個人によっては簡略化されつつあるお正月ですが

「1年が始まるという感覚」「おめでたい感覚」が体感として私たちのなかにある。

神道という宗教枠を超えてもう文化として根付いてしまっているのです。

 

日本人を規定するものって何だろう?とよく考えます。

これこそが日本人だ!と思えるものって、神道の行事として生活に関わっているものをのぞけば「和の精神」くらいしか思いつきません。

聖徳太子が「和を持って貴しとなす」と言われた「和」です。

これは地域の共同体の運営という小さなものから、国家という大きな枠組みまで網羅する日本特有の考え方だろうなあと思います。

和の精神は「みんな仲良くする」という面と「足並みを乱すな」という面があります。

共同体に秩序と安定をもたらし、突出するものを許さない側面もあります。

幸か不幸かでなく、そういう特質を生まれ持ってしまった(育んでしまった?)風土のようなもの。

 

それはきっと、人々が意識する前に「そうしなきゃ生き残れない何か」がこの国にあったのだと思います。

それって一体何だったのだろう?と考えてしまいます。